TOKYO FOOTBALL STORY

TOKYO FOOTBALL STORY
朴 世訓 / FC KOREA(東京1部)

TOKYO FOOTBALL STORY 2020

朴 世訓/FC KOREA

「FC KOREAで過ごした濃密な時間」

東京都社会人サッカーリーグ2部のFC KOREAに所属するMF朴 世訓(パク セフン)。立命館大学卒業後にFC KOREAに入団し、以降、全国社会人サッカー大会優勝、関東1部リーグ優勝など輝かしい実績を残してきた。黄金期だった当時を振り返ってもらいつつ、FC KOREAというチームの存在意義を聞いた。
(※インタビューは2020年12月に実施)

INTERVIEW(2/2)

届かなかったJFL昇格。2015年限りで退団。

Q.2012年の全社優勝、2013年の関東王者になっても最終的には地域決勝・JFL参入戦は勝ち抜けなかった。足りなかったものは。

「タラレバになってしまうが、1回目の地域決勝に関しては正直決勝ラウンドまでいかなくてはいけなかった。予選2戦目のノルブリッツ北海道との試合で黄永宗さんが退場になってPK負けしてしまったというのもあるが、あの時は実力で力負けしたというよりかは運や経験の差だったのかなと思う。翌年の地域決勝の時は正直、力負け。初戦のグルージャ盛岡に完敗して、3戦目のFC KAGOSHIMAにも完敗だった。関東で優勝しても他の地域の方がレベルが高かったというのが本音で、グルージャにしても鹿児島にしてもそのままJFL、J3へと昇格していった。やはり関東を優勝して満足した部分があったのか、地域決勝で鼻をへし折られたし、JFLに上がろうとするチームはもっと一段も二段も上なんだなと感じた」

Q.関東で優勝したからといって甘くはなかった。

「今の関東は元Jリーグ選手もたくさんいて、実力的にわからないが、でも実際には栃木シティさんもJFLに上がれなかった。地方はそれこそ人は集まりにくいかもしれないが、やるとなったら地域全体として盛り上がる。そこのマンパワー、企業さんの応援はすごいと思うし、組織、グラウンドなども含めてしっかりと用意したうえでいい選手を獲得してチームを強化できる。地方の1チームなどがずば抜けて強かったりするのに対して、関東はそこらじゅうに均等にチームがあるので、突出したチームというのは出来上がりにくい構図であるのかなと思う。プレーする選手目線からしても、勝ち抜くのが難しい関東でプレーするよりかは比較的勝ち抜ける可能性が高い他の地域でプレーすることを選択するかもしれないし、そこに更に待遇が良ければそちらを選択するのも有りだと思う」

Q.優勝した翌年(2014年)は4位、2015年は5位と順位を落とし、そのシーズン終了後にご自身も含めて主力が一気に引退・退団した。

「リーグ戦も5位と振るわなかったし、次こそはJFLに行こうって時に結果を残せなくて少しずつみんなの気持ちが折れてしまった。KOREAは在日のクラブでその中で何人かやめるとなると、もともと人数も多いクラブではないし『だったら俺も、俺も』と連鎖してしまった。主力の選手もそろそろ家族や仕事を優先するような年齢になっていたし、クラブとしても選手を引き止めるだけの力がなかった」

Q.選手同士でも相当話し合いは重ねた。

「自分はどちらかというと続けたかったし、このクラブを昇格させたかった。年下の選手たちからやめるという相談をされて、マネージャーのチャノさんにも『今、彼らを止めないと昇格できなくなる』という話はした。ましてや今の若い在日の選手たちはどんどん止める、蹴るが下手になってきているし、仮に来年若手が入ってきたとしても現メンバーのレベルを超えられることはまずない。どうにか今の選手たちを引き止めないと『自分も無理です』、ということは伝えていた。ただ、クラブとしては就職斡旋や金額面をいくらかサポートするということもできなかったので、結局、主力の選手たちがやめるのを止められなかった。そのときに来年は絶対に人数が少なくなるよねっていう話になった中で、翌年から日本人選手も受け入れるということになり、自分としては日本の選手がどうこうではなくて、KOREAという在日の団体にやりがいを感じていたので、それはちょっと違うかなということで心が離れてしまった」

朴 世訓/FC KOREA朴 世訓/FC KOREA朴 世訓/FC KOREA

今はFC KOREAの存在意義を伝えていくことが役割。

Q.結局KOREAは東京2部まで降格してしまい、今は再び在日メンバーだけで再起を図っている。ご自身もまた復帰してプレーしているが、今は仕事をしながらサッカーとどう向き合っているか。

「試合に出るつもりは全くないが、メンバーが少ないという実情もあって出たりもしている。ただ、基本的にはこのチームを1部に上げるための力になれればと思ってやっているし、在日の高校生や大学生が社会人になってもサッカーを続けられる場を作ってあげたいという想いは変わっていない。やはり大卒の選手たちも東京2部というカテゴリーではやりがいを感じられないだろうし、少しでも上げてあげたいという気持ちでやっている」

Q.だいぶブランクもあったが、ご自身のプレーはどうか。

「描いているプレーに身体が反応できないし、周りを見る余裕もない。それでも東京2部というカテゴリーだからある程度はプレーできてしまう。ましてや今のKOREAの選手たちも決してレベルが高いわけではないので、練習でもプレーできてしまう。そこに歯がゆさはある」

Q.当時のチームと今のチームを比較すると、どう感じるか。

「雲泥の差がある。レベル的にもそうだが、当時はJFLに昇格したいという目標があったし、全員が本気でこのチームを昇格させたいと志していた。今のチームは、キャプテンの慎鏞紀が自分らの姿をギリギリ見て、憧れて入ってくれたが、それよりも下の世代になってしまうと、当時のことは知らないし、気持ちの熱さという部分では物足りなさを感じてしまう」

Q.大学を卒業してKOREAというクラブに入団し、東京で社会人サッカーを10年ほどプレーした。非常に濃密な10年であり、色々な人との出会いもあったと思うが、改めて振り返るとどうか。

「高校や大学の時もたくさんの仲間がいて一緒に頑張ってきたが、これほど長く同じ仲間で一つの目標に向かってやってこれたのはKOREAが始めて。目標はあと一步のところで達成できずに自己満足で終わってしまったが、それでも色々な人に応援してもらって、支えてもらって、そういった中でサッカーができた幸せは自分の人生の中でもかけがえのない10年になると思う。本当に多くの人に出会えたし、今の会社(株式会社スペースジョイ)の社長もずっとお世話になっているし、たくさんの仲間から刺激をもらって可能性を広げてもらった」

Q.最後にKOREAというクラブの存在意義、またKOREAというクラブの発展のために今後ご自身はどういった想いで携わっていくか。

「KOREAは来年クラブ創設20周年を迎えるが、理念自体はずっと変わらず『在日同胞に勇気、感動、希望を与える』こと。在日という特殊なクラブではあるが、その分、サポーターは東京だけでなく日本全国にいて支えてくれている。そういった意味でもしっかりと結果を出して、多くの方に応援してもらって、喜んでもらえるチームであり続けたい。もちろん在日だけでなく、リーグに加盟できたのは日本の方々の支援があったからだし、国体メンバーに漆間監督が呼んでくれたり、それ以外にも日本の選手やトレーナーがチームに入ってくれたりと、日本の方々には本当にお世話になってきた。この日本の社会で在日のシンボルとして活力を与えられるチームであり続けないといけないし、それがこのチームの存在意義。

 その中で自分としては先輩たちが築き上げてきたものを、次の後輩たちへ伝えていくこと。サッカーのうまいへたはあるかもしれないが、このチームの存在意義はしっかりと引き継ぎ、伝えていきたい。今はそういった立場に自分はあると思っているし、今後もこのチームがあり続けるためにはどうしていくか、何をするべきかをしっかりと考えていきたい」

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PROFILE

朴 世訓 MF/FC KOREA

1985年生まれ。大阪市出身。立命館大学時代は総理大臣杯で優勝し日本一を経験。2009年に当時関東2部のFC KOREAに入団し、関東1部昇格や全国社会人サッカー大会優勝、関東1部リーグ初優勝に貢献。華麗なドリブル、スピード、テクニックでクラブのエースとして長く活躍し、2011年からは東京都国体選抜にも選出。2013年には地元東京で開催された国民体育大会で10番をつけて準優勝に貢献した。

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