TOKYO FOOTBALL STORY

TOKYO FOOTBALL STORY
尹 英勝/ZION FC(東京2部)

TOKYO FOOTBALL STORY 2021

尹 英勝/ZION FC

「自分の中では今も引退したまま」

2021年シーズンの東京2部で大活躍を見せたZION FCのFW尹英勝(ユン ヨンスン)。開幕から7試合連続ゴールで7連勝を記録するなど、激戦の3ブロックを勝ち抜く原動力となり、チームを優勝、3年ぶりの1部復帰に導いた。これまでのサッカーキャリア、3年間のブランクを経て臨んだ今季のリーグ戦を振り返ってもらった。
(※インタビューは2021年12月に実施)

INTERVIEW(1/3)

高校、大学時代にはアルゼンチンへ

──もともとの生まれは。

「東京の中野で、大学まではずっと中野。両親も韓国人で僕は在日3世。小、中学校の時は横河武蔵野のジュニア、ジュニアユースに通い、その後は東京朝鮮高、朝鮮大に進んだ」

──途中、サッカーでアルゼンチンに行ったというのはいつ頃。

「高校の時に2年間ほど行って、大学時代にもう一度」

──どういった経緯で。

「本来はヨーロッパへ行きたかったが、知り合いの方がアルゼンチンにつてがあったので受け入れ先を紹介してもらい、最初は留学という形で2年間。そこから一旦日本に戻って朝鮮大に進み、大学1年の時にもう一度。2回目の時は留学ではなく、契約という形でクラブに入団した」

──契約に至った経緯は。

「最初留学したときは3部のクラブに通っていて、そこでお世話になった現地の人が、その後に1部リーグのインデペンディエンテのサテライトチームの監督になり、そこで僕のことを『選手としてプレーさせるので来ないか』と誘ってくれた。それで関東大学リーグの前期が終わってすぐにアルゼンチンに渡って入団。現地の監督が直接呼んでくれたし、名門クラブだったということもあり特に迷いはなかった」

──プロ契約という形になるのか。

「一応、プロ契約ではあるが、本格的なプロという感じではなく、最低限の生活費の支給と練習場の近くに部屋を借りてくれた」

──実際、名門クラブの2軍に入ってみての感想は。

「2回目のアルゼンチンということもあり、すんなりプレーできたし試合にも出れた。本当にうまいと思う選手は2、3人で、それ以外の選手たちとのレベルの差は特に感じなかった。でも最終的に僕はトップチームには上がれなくて、おそらくその時は全体で1人しかトップに上がれなかった。やはりトップとサテライトの差が大きかった」

──最終的にアルゼンチンはどういった形で終えるのか。

「トップに上がれないという判断になり、移籍を模索することになった。その時の選択肢としては3部のクラブのトップチームにプロ契約という話もあったが、給料も安かったし、ちょうどそのタイミングで韓国のプロテストを受けられるという話もあったのでそちらを選択した」

尹 英勝/ZION FC

Kリーグでプロデビュー

──韓国の話がきたのはどういった経緯で。

「親戚が韓国にいて、その知人がサッカーの代理人をしていたので、その方の紹介。韓国1部のプロクラブ・大邱FC(テグFC)のテストを用意してくれた。実際にはアルゼンチンから一旦、日本の大学に戻り、韓国に行くまでの期間をサッカー部で過ごして、大学3年の時にテストを受けに行った。向こうでは練習や練習試合に参加して、最終的にプロ契約ができた」

──韓国でプロデビューを果たした時の感想は。

「初めてプロリーグのスタジアムでピッチに立つことができて、プロになったなということを実感した」

──大邱FCのレベルはどう感じたか。

「アルゼンチンのサテライトリーグに比べれば当然韓国1部のほうが高い。ただ、アルゼンチンのトップチームと比べると劣る。サッカー自体はすごくシンプルでフィジカル重視のサッカー。でも、自分の中ではやっていける手応えも自信もあった」

──韓国での生活自体に苦労は。

「初めて韓国に住んだが、言葉も通じるし、日本のときから食事も家では韓国料理だったので、特に苦労はなく、また大邱広域市という街自体も大きな都市なので苦労という苦労はなかった。大変だったのはクラブが全寮制で、上下関係が厳しかったこと。先輩たちの洗濯などもしなくてはいけなかったので、そこは大変だった。今は時代とともにだいぶ変わっていると思うが、当時は学生生活・部活の延長のような感じだった」

──韓国のプロクラブも日本のように地域密着、ファンとの交流などを大事にしているのか。

「大邱FCは市民球団だったので、市や地域の方々とのイベントごとは多かったし、そこは日本と変わらない。アルゼンチンにはそういった活動はほとんどなかった」

──最終的に大邱FCはどういった形で終えることになるのか。

「1年目にK1(韓国1部)からK2(同2部)に降格となってしまい、2年目の夏くらいに日本のJ2・水戸ホーリーホックに移籍できるかもという話が入ってきた。それで僕自身も以前からJリーグに挑戦したい気持ちが強かったので、契約満了を待たずに移籍の話を進めてもらった」

PROFILE

尹 英勝 FW/ZION FC

1991年生まれ。東京都出身。在日韓国人3世。横河武蔵野FCジュニア、ジュニアユースを経て東京朝鮮高、朝鮮大学校へ進み、大学時にはアルゼンチンのCAインデペンディエンテのサテライトチームでもプレー。その後、韓国のKリーグに所属する大邱FCでプロデビューし、日本ではJ2の水戸、群馬でプレーしたのちに関東1部のVONDS市原、JFLの東京武蔵野シティFCに所属した。現在は仕事をメインにしながら東京2部のZION FCで10番を付けてプレーしている。決定力抜群のストライカーで今季14試合に出場し、そのうちの11試合で得点を挙げ、12勝2敗でチームを優勝に導いた。

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