TOKYO FOOTBALL STORY

TOKYO FOOTBALL STORY
堀田 稜/東京海上FC(東京1部)

TOKYO FOOTBALL STORY 2024

堀田 稜/東京海上FC

「サッカーに区切り 次のフィールドへ」

長く東京の社会人サッカーの顔として活躍してきた堀田稜。所属の東京1部・東京海上FCだけでなく、東京都リーグ選抜や東京国体選抜でも活躍し、2022年にはアマチュア最高峰の「JFL」クリアソンで1年間のプレーも経験。2023年に再び東京海上に戻り、1年間プレーしたのちに引退を決め、今後は仕事とサッカーの両立から、ビジネスの世界1本に絞って歩んでいく。引退を決めた理由や社会人サッカーでの学び、今後の目標を聞いた。

INTERVIEW(1/2)

2023年をもってサッカーにひと区切り

──長く続けてきた社会人サッカーを退く決断をしたのは。

「もともと漠然と長くサッカーを続けようという考えはなくて、去年、JFLのクリアソンから東京海上に戻ってプレーをさせてもらう時も、監督には『1年単位でコミットして判断をしていきたい』ということは伝えていました。クリアソンに移籍した1年間も平日含めて相当サッカーに打ち込みましたし、東京海上に戻ってきてからも土日はサッカーに費やしました。でも、どこまでいっても本業はやはりこの仕事であり、自分が成功したいのはこのキャリアの世界。それは大学卒業時にプロサッカー選手になることをあきらめた時から心に決めたことだったので、サッカーのプライオリティが下がったというよりかは、仕事や家庭も含めた他のプライオリティがサッカーを上回ってきたということが理由です」

──当初、これだけ長く社会人サッカーを続けるとは思っていなかったと思うが、続けられた理由は。

「正直、入社前は社会人サッカーについてほとんど知らなくて、サッカー部が週末に活動をしている、東京都リーグがあるということくらいは知っていましたが、そこに皆さんがどれだけの熱量で取り組んでいるかもわかっていなかったです。それにプロを目指してきた自分がアマチュア社会人サッカーに真剣に取り組めるのか、自分の中でのサッカーに対する位置づけも変わるだろうし、色々と難しいと思っていました。でも、気がつけばどんどんのめり込んでいく自分がいました。

 理由はふたつあります。ひとつは東京海上サッカー部の先輩方、ライバルチームの皆さんが自分を駆り立ててくれたこと。仕事、家族、プライベートがあるなかでも皆さん必死に時間を割いてトレーニングをして、週末に本気で勝負をする。その熱量に僕自身も心を動かされて、ここまで引き上げてもらえました。もうひとつは社会人4年目の時に結婚をして家族を持ちましたが、やはり家族の支えなしにはここまでやってこれなかったです。このふたつの要素が僕をサッカーの世界に引き止めてくれて、高い熱量でサッカーを続けさせてくれた理由かなと思います」

堀田 稜/東京海上FC

JFLでプレー「自分の想像を超えた自分へ」

──東京1部でサラリーマンとして6年ほどプレーしたあと、仕事環境は変えずにJFLという3つ上のカテゴリーに1年間チャレンジした。大卒ですぐにJFLでプレーするのとはわけが違ったと思うが、自分の力は発揮できたか。
※JFL全30試合に出場し2得点を記録

「自分の強みはJFLでも出せたと思います。もし、自分が大学新卒でJFLでプレーするのと、東京1部で6年間プレーしてからJFLに行くのとでは、やはり後者だったから自分の力を発揮できたと思っています。大学時代はどちらかというと自分の能力に自信を持っていて、頭を使うというよりかは勢い任せのプレーばかりでした。でも社会人サッカーをやると無理もきかなくなって、相手との駆け引きや力の使い方を頭で考えながらプレーすることを学びます。周囲から見れば都リーグでの6年間はディスアドバンテージに見えると思いますが、僕の中では頭を使ってサッカーをする、自分の劣っている部分を補う、そういった技術を身につける貴重な時間だったと思います」

──JFLにチャレンジしようと思ったのは。

「自分から能動的に動いてというよりかは周囲にチャレンジする機会を作ってもらえたことがきっかけです。ただ、最後は自分で決めました。自分は割と『ここまでならできるだろう』というのを認識できるタイプで、仕事とサッカーの両立においてもそうやってきました。ただ、一方でそれ以上先には行こうとしない自分もいます。でも、長く仕事とサッカーを両立しながらやってこれたことで、自分が思っているよりも先にいく経験もできましたし、もう一度自分の想像を超えた自分にチャレンジしてみようと。そう思って最後は踏み切りました」

──今のJFLはアマチュアとはいえプロのレベルに近いクラブも多く、単純に技術があるだけの選手では通用しない。ご自身の中に技術以外のどういった要素、仕事をしながらでも日々どういった取り組みがあったから通用したと思えるか。

「JFLでの1年間は仕事をして夜に練習をして、そこからまた仕事に戻るという寝不足つづきの生活でした。そういった中で自分のコンディションを維持して、さらに向上させていくには、やはり仕事で練習を休む時も自主トレは極力ハードなメニューを組んでやるとか、あとは食事面でかなり節制を心がけました。自分は結構偏食でお菓子とかも大好きなんですけど、その1年間は成分表示を見て化学甘味料を抜く、無添加のプロテインを飲む、クリアソンに関わる方にサポートをしてもらいながらサプリメントも7種類くらい飲むなど気を使っていました。あとは自分の強みでもありますがメンタリティの部分。良くも悪くも動じないところがあるので、試合中にうまくいったり、うまくいかなかったとしてもそこで一喜一憂せず、常に平常心を保つというところはJFLでもやれたのかなと思います」

──試合中に心がけていたことは。

「頭を使うということをより意識していました。次にどういったボールがくるか、次の流れを考えた時にどういうプレーを選択するべきか。自分はスピードが強みなので、速さで上回っているように見えるかもしれませんが、自分の中ではスタートの時点で相手よりも先手を取ることを常に意識していました。とはいえどれだけ頭で考えても最後はそれをプレーに移すための走力。やはりベースの走力を日々努力して向上させたことで、前半にうまくいかなかったとしても後半に巻き返せたり、自分のドリブルもJFLの中で通用してやれたんだろうなと思います」

堀田 稜/東京海上FC

PROFILE

堀田 稜 MF/東京海上FC

1994年生まれ。埼玉県出身。浦和レッズユース - 早稲田大学ア式蹴球部。大学卒業後に東京海上日動火災保険に入社し、東京1部の同サッカー部に入部。2016年から6シーズンプレーしたのち、2022年はJFLのクリアソン新宿に移籍し1年間プレー(※全30試合に出場し2得点を記録)。2023年に再び東京1部の東京海上FCに戻り、同シーズン限りで引退。東京1部では計7シーズンプレーし、得点王1回、アシスト王4回獲得、ベストイレブンには4度選出された。また、東京都国体選抜(成年)には2017年、2018年、2023年に3度選出された。左利きのアタッカーで正確なクロス、シュート、ドリブル突破が武器。

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